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「私と踊って」ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団
2010年6月5日(土)
滋賀県大津市:びわ湖ホール
2010年6月8日(火)9日(水)11日(金)12日(土)13日(日)
東京都新宿区:新宿文化センター
公演情報:お問い合わせ先
・日本文化財団
⇒ http://www1.ocn.ne.jp/~ncc/
日本初演:過渡期の大作
来日20周年記念である2006年には、初来日公演に含まれていた「春の祭典」(1975年初演)と「カフェ・ミュラー」(1978年初演)を、久しぶりに上演したピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団。
このところは新作や、世界各都市とのコラボレーション作品が多かったような印象ですが、前回の2008年来日公演では「パレルモ、パレルモ」(1989年初演)を見せてくれました。
その後に発表された今年2010年の来日公演の演目は、意外?にも『私と踊って』(1977年初演)。
マリオ・ジャコメッリの写真をイメージさせるような、白い背景と黒い男たち。
とはいえ、静謐さよりも、動と静の対比を感じさせる舞台装置でしょうか。
もともとは、作品内でも音楽として使用されているのが民謡でもあり、そのタイトルは「民謡(Volkslieder)」となるはずだったようです。
この作品は、ピナ・バウシュがヴッパタール舞踊団の芸術監督に就任して以来、試行錯誤の真っ最中ともいえる時期のものと考えられるでしょう。
音楽やバレエなどのクラシックな要素を排除し、さらにはダンスそのものをも遠景に留め置くような展開。そして何より、事前の過程においてダンサーへの質問という手法を取り入れ始めた、そのような時期の作品であるということです。
現在では、そのピナ・バウシュとしては当たり前の制作手段も、突然にひらめいたという、天啓のようなものではなかったのです。
その頃、振付家としてのピナと、ダンサーたちとの間には齟齬が生れていました。
当初はそれを埋めるものとして編み出された、いわば苦しいなかでひとつの可能性に賭けた、頼みの綱だったのかも知れません。
それが、以来最後の最期まで続いた、画期的な手法として高められていったのですから。
ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団の現在のかたち。
そして何よりも、突然に逝ってしまったピナ・バウシュ。
その始まりの瞬間を感じられる、忘れられない来日演目となりそう。
カーテンコールを想像すると目頭が熱くなります。
注意:ネタバレ情報1
以下の動画は、今回の『私と踊って(Komm tanz mit mir)』の一場面をみることができます。
お好みでどうぞ。
注意:ネタバレ情報2
日本文化財団の公式サイトにも動画が用意されました。
高画質バージョン(3分 710kbps)と低画質バージョン(3分 108kbps)です。環境に応じてどうぞ!
・日本文化財団
⇒ http://www1.ocn.ne.jp/~ncc/
参考書籍
「私と踊って」ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団(2010.03.04)
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